Recruiting Design

Interviews

正直、メチャクチャ
かっこ悪い。
それでも、
戻りたいと思った。

名古屋南部エリア開発グループ
アカウントプロフェッショナルマネージャー

松本 拓巳2002年入社、2014年退職、同年2度目の入社

会社を辞めた。

 26歳の時に中途入社。その後着々とキャリアを重ね、5年でマネージャーに昇格しました。メンバーたちとの関わりが面白く、自分がしたかったことをやっと見つけた気分でした。そして社内恋愛からの結婚。一見、順風満帆に見えましたが、慣れない結婚生活と管理職としての重圧にストレスが溜まり始めたのも、この時期からだと思います。ほどなくして、東三河営業所の所長に抜擢。ところが、新天地で気持ちを新たに頑張ろうとした矢先に、“世界規模の大不況“が到来しました。どう頑張っても売れない、去っていくメンバーを見送ることしかできない無力感。…そして、東三河営業所は閉鎖し、他の営業所に統合され、所長としての役割は2年で終わりました。その後、いくつかのポジションを経験しましたが、次第に「人と関わる喜び」を感じることを忘れ、仕事を楽しむ感覚も麻痺。気持ちは沈み、周りも見えず、「自分のことだけしていよう」そんな状態になりました。けれどももうすぐ40歳。この先を考えると、このままでは良くない…。そんな自覚だけはあったので、環境を変えてみようと決意。『退職願』を提出しました。

辞めたからこそ、
見えたこと。

 この仕事で築いた人脈もあり、転職先はすんなり見つかりましたが、その職場で目にしたのは、驚くほどの活気のなさ。誰一人、活き活きとしていないんです。会社の「駒」でしかない扱いに、社員は次々と辞めていき、そしてその補充のため、新しく入る社員もまたすぐ辞めていく。そんな状況を他人事のようにただ眺めていました。そして考えるのはリクルーティング・デザインのこと。苦しい状況の中でも仲間たちの目には力があったな、とか、業績が上がらず叱咤されはしたけど、そこには自分や仲間、会社に対する愛情が感じられたな、とか、落ち込む自分を、みんなが気にかけてくれたな、とか。他の会社を眺めると違いがはっきり分かります。自分は何を見ていたのかな、と悔しく思いました。そして、戻りたいという気持ちが、次第に大きく…。そこで、マネージャー仲間や、リクルーティング・デザインの顧問に相談。「オレが話をしてやろうか」と、顧問は言ってくださいましたが、「筋道は自分でつけます」と、丁重にお断りをしました。

5歳の娘と2歳の息子の父。休日は公園、プール、動物園などに子どもと出かけ、のんびり1日家で過ごすことは半年に1度あるかないか。趣味はバス釣り。月1回を目標に、同僚と琵琶湖に通う。特技はテキサス。自己最長記録は62.5cm。休日以外はというと、週4ペースでRDのメンバーと飲んでばかり。盛り上がり過ぎて、終電を逃すこともしばしば。そんな時は同僚の家に泊ってさらに深酒。もっぱらの悩みは寝不足と日焼け。

そして2度目の入社。
懐の深さを知った。

 実は退職願を出した時、有り難いことに、社長と上司がかなり熱心に引き留めようとしてくれたんです。だけど「辞めるのは止める」とは言えなかったですね。だから「戻りたい」なんて「今さら何?」って話です。意思を貫いて辞めたのに、それをなかったことにするなんて、メチャクチャかっこ悪い。そもそも話なんて聞いてもらえなくて当然です。それでも上司に連絡し、復職したい旨を伝えました。そしたら一度ご飯を食べながら話そう、ということに。会食の当日。どう謝ろうか、切り出し方がわからない私に、上司が開口一番「それで、いつから来れんの?」。…涙は出ませんでしたが、本当に嬉しかったですね。辞めてから9カ月。無事に「出戻り」が決定しました。それでも“再”入社までは不安があるわけです。実は仲が良いメンバーとは何度か会っていましたが、他のみんなはどう思っているのかな、と。薄情者と思われていないかな、と。しかしいざ戻ってみると拍子抜けするくらい普通。バツの悪さを感じることが、逆に恥ずかしく思えるくらいに、堂々と迎えてくれました。「良い仲間に恵まれた」と感じましたね。戻ってからのポジションはプレイイングマネージャー。後輩の面倒をいくら見ようが、助けようが、自分の成果にはなりません。でも「自分の仕事はここまで」なんて線引きはもうしないと決めたんです。ただのボランティアだとしても、とことん他人と関わり、世話を焼きます。見返りなんてどうでもいいんですよ。自分がしたいから、しているだけです。おかげさまで、戻ってから前よりずっと、楽しく仕事をさせてもらってます。